スピリチュアルベッキョン日記

生きることは難しいけど

【2023年1月】残したい

2023年 イギリス Sussexでの年明け

 

2022年に4月くらいまで中途半端に書いて終えてしまったこの「残したい」を、2023年もやり直してもう一度始めたいと思う。毎日でなくても、書きたいことを残す。また年末に見た時、その後見た時に少しでも自分の力になればいいな。

 

 

(1月3日火曜日)

初夢ではないが、昨年亡くなった愛犬ロビンと祖母の犬モコちゃんが余計な景色も言葉もなく、ただ追いかけっこをしている夢を見た。天国で本当にそうやって走り回っているのが想像できるくらい私たちと過ごしたときにロビンだった。年に一回の夏の帰省で会った時と変わらないモコちゃんだった。

新年になって会いに来てくれたんだろうな。何気ない一瞬を切り取ったような姿に寝ながら本格的に泣いていた。夢だって分かっていたからこそ「あぁこんな生活している私のもとにも来てくれたんだ」って整理がついてて、とっさに枕の横に置いてあるロビンちゃんに似た犬のぬいぐるみを撫でて近しい感触を求めた。本当に夢よりも空の様子を眺めているようだった。

新年になっても相変わらずのグダグダ生活をしてしまっている。暴食はしなかったけど、早くすすめるべきのEssayを結局今日も滞らせた。他にもやらなければいけないことはあるのに。そしてやりたいこともあるのに。

携帯を何も流れてこない、興味があるわけでもない情報をずっと眺めている。時間をまた完全に溶かしてしまっている。留学中の冬休みは本当に人生で一番最悪な生活をしている。ろくに積極的に英語にも触れず、勉強もせず、仕事関連もせず、語学もせず、運動もせず、起床は13時か14時。ただ何もしないからこそ憂鬱になって、どうしたらいいか分からなくなって日々が過ぎ去っている。

いつの間にか冬休みも半分を過ぎた。

とりあえず2023のbucket listをつくったら少しでも目標ができて、生活が変わるのではないか。それにこのlistはとても作りたい。作りたいんだけど、ISTのEssayをひとまず終わらせてからじゃないとするな、と自分で決めている。それなのにEssayをしていない。だからこんな生活のまま。

 

どうする。

 

 

(1月8日月曜日)

課題提出が明日までに迫っているにもかかわらず、あと3分の2残っているにも関わらず、ゆっくり時間を消費し現在もこの日記を書くことにした。

 

本当にどうでもいいことを書かなきゃ日常じゃない。

 

NCTドヨンが緩い優しいほほえみと照れ笑いをしている様子を横で見届けるモブ出演の夢を先日見たんだけど、それ以来一日のうちにドヨンのことを考えている時間が明かに増えた。

 

本当にどうでもよすぎる。

 

でも本当に、その後今日Ay-Yoのteaserが出たんだが、ドヨンってこんな画像見るのに時間かかる人だったっけ????になった。めっちゃ凝視した。てん、、、、さい、、、?になったの何だったんだろう。

それからTwitter検索で「ドヨン」とか「ドヨン メイク」とか、そういえば、ドヨンってジェンダー観が非常にしっかりしている方だったということを漁っていたら思い出し”あ、、、あのVラでの話だよ、、、あれ、、、”で強引だが「ドヨン ジェンダー」とかで検索したりもした。出てきた。

 

ほらね、全然Essay終わってないのに何もしてないでしょ。

 

ちなみに今日は鍋食べた後ポテチ2袋と缶ジュース2本飲んだよ。これがストレスのほかなんなの??全然手につかないが。

 

 

それで現在はドヨンのソロとか挿入歌を流しながらEssayしてた、が、今これ打ってる。

本当に、、、、、、、ありがとう。

Essay終わらせたらやっとちゃんとbucket list作ってジム決断して運動し始めて、英語ももっと話す機会増やしてマークやヘチャンみたいに物理的に生活を一生懸命にこなせる土台をつくりたい。正直倒れるまで頑張りたい。

その意思が言葉だけになりそうだがな。

結果は未来が知ってますね。ちゃんと書いて教えてね、私。

 

 

 

(1月12日木曜日)

ESを書いているんだけど、記者部門に提出するESを書いているんだけど、どうして自分が記者になりたいのか、言葉を伝える人になりたいのかを考えていると涙が出そうになる。

なぜかは分からないし、全く文章がまとまらず困っているのに。

 

自分の言葉を介して発信した出来事、トピックに対して、まだその内容や状況を具体的に知らない人たちに少しでも関心を持ってほしい。

 

自分の言葉で救える人がいるのなら、その人たちの声に寄り添い、、、、、、、、、、、、、、、

 

って思ったけど、人に寄り添うジャーナリズムなだけではやっぱり違う気がする。事実を明らかにする証拠を得るためには人の心に寄り添うよりも、まず、その人から、その状況から自らに対する関心が向けられることが最重要な気がする。「状況が自分を見る」ってことばおかしいけれど、状況って人が関与しているものがほとんどだと思うから、うーん、結局はそう、人から興味を注がれてこそ他者から本心を聞くことができるんじゃないかな。

 

ES、もう締め切りまで残り時間も少ないしとりあえず形にはするけれど、この記者になることに対する不安と恐怖があるままだと何も届かないで無事散りそうだなぁ。。。。

 

 

 

(1月14日土曜日)

心が寂しくなったとき、ベッキョンの歌を沢山聴きたくなる。

今がその時だ。今日22時30分ごろから。そう、本当にベッキョンの歌は癒されるし、夢中になれる。

 

そう、夢中になれる。没頭できる。

あー-、やっぱりベッキョンに出会えて本当に良かったな。

誰よりも一人になりたいとき、だけど寂しい時にそばにいてほしい歌を歌ってくれる。

ああ。自分に、自分の心にとって特別な存在がいて本当に良かった。

ベッキョンのこと考えるとふと涙というかこみ上げるのもがある。涙でもない何かが、心臓が上に押し上げられる感覚。

特別だよ。確実に自分の人生においてベッキョンはずっと特別。

決して私を一人にしない。彼の音楽だけは裏切らないし、不安にならないし、イライラしない。当たり前のことなのかもしれないけど音楽にイライラしないって言うのは。

話それた。そう。

本当にベッキョンが大好き。ベッキョンの音楽が大好き。

 

ありがとう。ありがとう。ありがとう。