スピリチュアルベッキョン日記

生きることは難しいけど

馴染みのある人 ビョン・ベッキョン

ベッキョンへの沢山の愛と感謝をこれからも!

 

去年の5月6日にも言葉を残したけど今年も気持ちを整理しようと。要はベッキョンへの愛を語ります。

 

 

誕生日おめでとう!!!!

 

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ベッキョンお誕生日おめでとう。30歳の誕生日おめでとう。

何回も言いすぎてもはや陳腐なものに聞こえてしまうし初めからドストレートな言葉しか言えないんだけど、私は本当にこの人生の中でベッキョンに出会えて良かった。

何回も言ってるね。

何回も思ってるからね。

生きていて楽しいと思う瞬間が増えたし、気が付かないうちにとてつもなく大きな影響を私に与えてくれた。私はベッキョンから、見えるはずのない愛というものが常にすごく鮮明に見える。なんかこんなに憎みも比較もしない愛が私の中にあって、それが1番だと思えることがすごく幸せ。

 

 

 

私全然いわゆるペン歴だとかなり短くて、2019年に運命的な出会いをようやく果たせたのであって、しかもベッキョンを知ったのはEXOからでなく『麗〜花萌ゆる8人の皇子たち』のウニ皇子が気になったことがきっかけだったし、と長く一緒に歩んできたわけじゃない。9年なんて全く共にしていないし、KPOPにも目を向けてなかった。だからまだ今でも、今までの活動の中の知らないこと沢山あるし、“懐かしい”という気持ちは味わえない。

コンサート自体も、2019年に急速的に沼に落ちていった当時の素晴らしい私の行動力もあり、1ヶ月くらい前に飛び入りでチケットのお譲り見つけて宮城公演1日目(2019.12.20)に、遠征を決行した一度きり。まぁ今考えても、当時のなんとしてでも唯一残る宮城公演への想いが燃えまくってて、ワクワクが止まらなかったしこの行動を知ってる友人らが、同じベクトルで喜んでくれたのすごく嬉しかったな。

私にとってアイドルのコンサート自体初めてだったけれど、周りの熟練の友人たちに沢山のサポートとなぜかありがたくも応援をしてもらって、無事人生の中でも決して忘れることのない素敵な思い出ができた。

 

 

 

だからよく考える。

たしかに、私がまだ知らなかったときの昔のベッキョンももちろん好き。こんな素敵なアイドル、歌手にもっと前から出会いたかったと何度も思う。だけど、いつか長く時が経って、しわしわのおばあちゃんになっても思い出す時が来るならば、私は私が初めてベッキョンと会った2019年12月20日の姿、もしくは麗のウニ皇子としてのベッキョンを忘れずに思い出したい。覚えていたい。

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ベッキョンに出会うまでに長く時間はかかってしまったかもしれないけれど、それでも彼のことを見つけてくれた私には本当に感謝してる。人生のうちで見逃さなかった。私にとって出会うべくして出会う人だったんだろうなって思って、そしたら沢山愛があふれて大号泣した日もあった。

そしてそれはベッキョンが、20歳で自分自身と誓った約束を貫いて守ろうとしたからこそ、遅ばせながらも私は最愛のアイドルベッキョンに出会うことができたんだと。努力とは決してすべて見えるものではなかった。そしてその彼の熱意のもと、私にもこの導かれた今があると思うと、どこまでもこの世で生きていくことって、うまく表現できているか分からないけれど「わたしのため」そして「あなたのため」の連鎖なんだと感じる。

 

 

 

馴染みのある人

「ベッキョンが好きだな、なんかあったかいんだよな」とか考えると、私は同時によく家族のことを思いだす。好きや愛って色々なかたちがあっていいと思う。ベッキョンも世界一の愛で、また家族も私を大切にしてくれる人たちも世界一の愛。私はベッキョンを好きでいることで、身近な人たちの大切さもふとした時に改めて感じることができるようになった。ふとした時ってのが不十分ではあるけれど、すべてがあたりまえじゃないと改めて思える。そうやって考えると、私にとってベッキョンはある意味”馴染みのある人”と言えるんじゃないかな。ベッキョンのファンに対しても気さくでいてくれる性格もあるだろうけれど、とても大事で、あたりまえに日々追い続けているけれど決してあたりまえじゃない馴染みのある人。

 

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信じて聴ける、見守ってくれる

ベッキョンを見ていると、ベッキョンの曲を聴いていると、心から穏やかな気持ちになれる。辛い時にはベッキョンの曲を聴いて涙を流し、また励まされる。気分を上げたいときにはポップな曲を聴いて小躍りしながら歩く。バラードを聴けば少し顔を上げ、空を視界に入れながらちょっとかっこつけて歩くときもある。

多種多様な音楽を好むけれど、ベッキョンの音楽は私にとって必要不可欠な存在になった。

ベッキョンはよく”ファンのために”と言ってくれるけれど、私はその言葉を聴くとベッキョンが私にも届けようと思ってくれていることを知り、嬉しくなる。あるときは”ファンが数人だとしても、自分の歌を聴いてくれている人がいてくれたら嬉しい”って言っていた。私はいつでもEXOの、SuperMの、そしてベッキョンの曲が大好きで沢山聴いて沢山の幸せをもらっている。少なくともここに一人いつでもベッキョンの音楽と共に生きて、幸せを分けてもらっている人間はいる。

ベッキョンは不可視化されていると感じる私のことも可視化してくれる存在なんだ。言語化してみてとてもしっくりきた。これだ、これが私がベッキョンに救われると感じる最大の要因なんじゃないかな。今、今すごくしっくり感じることができる。

自分が何のために生き、誰のために気持ちを殺し、感情に悩み容姿に悩み、時に、いや多くの人を 振り回し傷つけて、漠然とした不安しかない未来に向かってただ進む毎日で息が詰まりそうなとき、ベッキョンが私を可視化してくれていた。ベッキョンが歌を届けたいと思ってくれている人の中に、私はいる。直接的ではないけれどベッキョンは私を見ていてくれている。この距離はどういう言葉で言い表せるのかな。

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推しではない

そしてこれだけは一つ言いたい。もっともっと真面目な話を。私はベッキョンが自身のインスタグラムに、N番部屋事件の公示を求める著名に賛同したストーリーを上げたことがずっと印象深く残っていている。正直男性アイドルとしてこの事件に言及することはたやすくなかったと思うけれど、自らの意志で上げた姿が人としてすごくかっこよかった。些細なことかもしれないけれど、世の中に声を上げることを優先したベッキョンの行動は決して忘れない。そしてそんな人の姿を胸に、私自身も少しずつ変わっている。ベッキョンにすごく自分の生き方を見直すきっかけをもらって、視野が広くなって、行動にすることの重要さは彼にかなりの影響をもらった。これは私がベッキョンのヲタクという枠を超えて、よく考えさせてくれる人間としてとても思うこと。ほんとうに尊敬してる。ベッキョンは本当にかっこいい人。

 

 

 

 

 

兵役に1年9か月行くということ

幸せな誕生日にベッキョンは入隊してしまう。

会えなくなる時間がすごく寂しくて、活動をたくさん見たいときにこの期間のベッキョンの活動は見ることができなくて悲しい。

ただ私は”悲しい”という気持ちだけで流してはいけないことだと思っている。1年9か月が「兵役」なことについて私はもっと冷静に向き合い考えたい。

ちょうど一年前に書いたメッセージの中で私は”どうして兵役に行かなければならないのか、自分で知ろうとしなくては”といったような言葉を残した。
この一年で私は基本的な兵役のことやその背景については学んだ。すごく不十分で散漫してて、何もかも変わるわけではないし、更に疑問ばかりが増えた。兵役だけにかかわらず、知ってしまった以上知らなかったことの特権に気づき、一層その恐ろしさを知る。知らなかった頃に戻ることはできないし、だからこそまた考えることは”どうして兵役に行かなければならないのか”になる。推しのことだから知りたい、から始まったものの、それだけにとどめてはいけなかった。私は特に日本人であるからこそベッキョンの国での長く続く兵役をはじめ、歴史について知ろうとするべきだと思っている。そして私が感じたことは、日本にはまだ全く現在の韓国兵役制度の内実を深く知れるようなものがとても少ないと感じた。本国の兵役対する国民の考え方も知りたいし、ないがしろに、ベッキョンがただ流れるように入隊してしまうことが怖くて強い違和感を感じる。

軍隊で過ごさなくても、軍の一員として過ごすわけではあるから、決して会えないから悲しいという気持ちだけでぐずぐずせず、どういう場所に身を置くかを常に冷静に考えておきたい。

 

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最後に 1年9か月間、そしてその先に

この約2年間は私にとっても何か頑張れる一年にしたい。これこそただの自己満でエゴだけど、2年後にまた逢える時に少しでも真っ当な大人になって彼に逢いたい。一方で、何も変わらないふにゃふにゃな笑顔で、メンバーや友人たちと楽しげで、のんきでおちゃらけてて、だけどかっこよくて暖かい、今と変わらないベッキョンとまた逢いたい。そしてそれはオフラインで。

 

 

とにかく健康と幸せを心からいつもいつまでも願ってる。願うことでベッキョンがそれを嬉しく誇らしく思ってくれるのであればなおさら願って願って願う。切実に幸せでありますように。

 

 

 

心からのありがとうと、お誕生日おめでとうと、また逢おうね、を。

사랑하고 좋아해요.

 

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